続 栗城史多さんについて想うこと

こんにちは。

栗城さんのことについて書くのも今日で3回目です。

今回で栗城さんのことについては一旦区切りをつけたいと思います。

彼の死後2日が経ち、少し自分の気持ちも整理されたというか、落ち着いたというか。。。多分彼の死を少し受け止めたという事なんだと思います。

 

今回の件で彼の記事も結構読みました。

批判的な意見も多かったです。

中にはに、彼はパフォーマンスで注目を集めるためだけにエベレストに登っているという内容のものも結構ありました。実力がないという意見もよく見かけました。

でも、私は例えそうだったとしても別にそれで良かったと思っています。

 

彼自身、自分が一流のクライマーだと思っていなかったと私は思っています。

むしろ平凡な人間の努力する姿をみせたかったんじゃないでしょうか。

それに、実際7000mを超える高所まで何度も登り、凍傷で指を9本失い、それでも登山を続け最後には命まで失ってしまった。。。。

こんな事パフォーマンスでできるでしょうか?

彼の中にも有名になりたいとか、お金が欲しいとか、人に認められたいという願望は当然あったと思いますし、彼の登山にかける原動力はそういったものだったのかも知れません。でもそれだけでエベレスト挑戦を続けることができたとは到底思えないのです。

 

あれだけの山に登ろうとするとクレバスはあるし、雪崩に巻き込まれる可能性もある。

高山病やそれに付随するアクシデントで突然死することもある。

命の保証なんて一切ない世界に欲望だけで身を置けますか?と思うんです。

 

様々な意見や考え方があるとは思いますが、私は彼を信じたいと思います。

そして今は彼が悔いなく天国に昇っていくことを祈るばかりです。

 

栗城史多さんのご冥福を心よりお祈りいたします。